蓮田市の魅力

古の息づかい

円空仏(蓮田市の指定彫刻)

江戸時代初期、仏像を彫りながら布教につとめた僧、円空。市内に残る円空仏は、日光遍歴の途中、一夜の宿の返礼として彫り残したものといわれています。市内には、合計で24体が確認されています。 円空とは 日本には、古代より高山/高岳に神霊のやどるという山岳信仰がある。この険しい山岳にこもり、長年にわたりきびしい戒律の中で修業を積み、呪力/霊的能力を修めた者を修験者、又は聖と呼ぶ。 円空(1632年 寛永9年 岐阜県に生まれる)生涯、山岳宗教に生きた修験者であるがまだ多くの謎を秘めている。乞食円空と呼ばれながら遊行という修業を行い、岐阜県から遠く北海道まで歩きつづけた。 ※ 遊行 各地の霊山/聖地を巡り歩きながら宗教活動を行うこと すぐれた彫刻技術をもった円空は、生涯に十二万体の造仏の誓願を立てたが、実数は不明である。確かなのは、現在までに4,500体の仏像が実在していることである。この彫刻は修験者に伝わる「鉈彫り」という荒々しい一刀彫りの表現を特徴としている。 (1695年 元禄8年)戒律にもとづき長良川畔の土中に入定して自らの命を絶った。
※ 入定 聖者の死を示す仏教用語 円空仏  
円空仏は、「ナタばつり」と言われる、素朴で荒々しい技法によって彫られています。その自由な発想やダイナミックな技法は、内外の近代彫刻に大きな影響を与えるとともに、多くの円空ファンを魅了しています。  この上人の行動力を支えていたのは、何であったのでしょう。それをうかがい知るよすがとなるものとして、上人の和歌があります。 これやこの くされる浮木とり上げて 子守の神と 我はなすなり  とぶとりの こえもきこへぬけさの山 ふかき心を ひとにかけぬる  深い信仰心と、人を思う優しさを持った円空上人は、巡った土地の人々から、「エンクさま」「今行基」などと呼ばれ、仰ぎ親しまれたといいます。  出生の地、羽島市上中町には、上人にまつわる数多くの伝説や仏像が残されています。  円空上人の卓越した才能は、いかに素材の性質を生かすかというところに集約されています。  上人は、素材としての樹木を一目見た段階で、何をどのように彫るかというイメージを決めたと思われます。

芥川龍之介の撰文碑

蓮田市根金稲荷神社
根金の稲荷神社の境内の一角には、「勤倹奉公」と大きく彫られた石碑が建っています。この碑文は、文豪・芥川龍之介が、この地の篤志家で古くから親交のあった関口平太郎氏をたたえたもの。龍之介の数少ない碑文の中でも、自撰自筆のものとしては全国唯一の存在で、大正6年(1917年)に建てられたものです。 芥川龍之介(1892.3.1-1927.7.24) 小説家の芥川龍之介は明治25年(1892)東京に生まれました。我鬼、澄江堂主人などの別号があります。東京帝国大学在学中に、同人誌「新思潮」に参加して創作活動を始め、大正4年「羅生門」を発表します。翌年「鼻」が夏目漱石に認められ、「芋粥」「手巾」などを著わして文壇に登場します。大学卒業後、横須賀の海軍機関学校で英語を教え、作家と教師の二重生活のなかで「地獄変」「奉教人の死」などを執筆し、若くして文壇を代表する作家となります。大正8年、創作に専念するため教師を辞し、大阪毎日新聞社に入社します。その後、健康の衰えがめだち、作品は自己の体験をもとにしたものが多くなります。激しい神経衰弱に悩まされながらも「河童」「或阿呆の一生」などを書き、「西方の人」が最後の作品となります。昭和2年(1927)35歳で自殺しました。命日には「河童忌」が営まれます。

柴山の伏越

新田の開発が盛んに奨励されはじめた享保年間、幕府の役人・井沢弥惣兵衛は利根川を水源とする用水路の開発を行いました。今も水量豊かに流れる見沼代用水です。途中元荒川の下をくぐらせた伏越は、当時たいへん困難な工事でした。今では、コンクリート造りですが、その前はレンガで、明治までは木造だったといいます

閏戸の式三番

閏戸の鎮守愛宕神社の秋祭り(10月第2土曜)に行われる舞い。江戸時代中期、秀源寺の僧が愛宕明神を祭、そもときに復活したものと伝えられています。式三番は能楽系統が一般的ですが、閏戸のものは歌舞伎系統の古い形です。謡の文句から、豊年を祈り、繁栄を祝って舞った当時の人たちの思いをうかがうことができます。 1955年に県の無形文化財、73年には国選択民族芸能に指定されています。
上閏戸式三番保存会 〒349-0133 蓮田市閏戸2979-2 TEL048(766)6709

関山貝塚

市内には縄文時代前期、この辺りが海の近くであったことを示す貝塚が残っています。中でも綾瀬貝塚・黒浜貝塚(県指定史跡)・関山貝塚(県重要選定遺跡)は、縄文時代前期の貝塚として、その時代の食生活や環境を知るための、学術的にも著名な遺跡です。

蓮華院弥陀堂

天平15年(743年)、聖武天皇は諸国巡察のため、東国に僧・義澄を派遣いたしました。当地に立ち寄った義澄は一夜を「阿弥陀堂」で過ごし翌朝を迎えたところ、堂のあたり一面蓮の華に包まれていることに感動し、そのこの世のものとは思えないほどの美しさに心を奪われました。  義澄は、その弥陀堂を「蓮華院弥陀堂」と名付け、以来この地は「蓮田」と呼ばれるようになったと言われています。

寅子石(埼玉県指定考古資料)

市の最南端・辻谷の里に建っている、高さ4mの県下で2番目に大きな板碑。鎌倉時代に唯願法師が真仏法師(親鸞の直弟子)の報恩供養のために、建立したものです。何人もの男性に求愛され、悩んだ末に自らの命を断った寅子という、ひとりの女性の悲しい伝説が伝わり、地元では「寅子石」呼ばれるようになりました。

民話「お寅子石」
昔、綾瀬川のほとりに開けた辻谷の里に長者が住んでいました。
その長者にはそれはそれは美しい娘がおりました。
娘の名は寅子といい、たいそうな器量良しでたおやかな心のやさしい娘でした。
年頃になるとますます美しくなり、その美貌は近隣の村村まで伝え広がりました。
やがて、寅子を見初めた若者たちが長者の家にやって来て
「ぜひ、私のお嫁さんになってください」
「私を貴方様の婿にしてください」
「私の妻に成ってください、」
と口々に頼みました。
若者たちは、夢のように美しい寅子のことを思うと仕事も手につかず、ため息ばかりをついては、熱に浮かされたような毎日を送っていました。

しばらくすると、若者たちは毎日のように長者の家に押しかけて来るようになり
寅子の様子をうかがったり、我先にと珍しい品物を届けたりして
寅子の気を引こうと躍起になり、長者夫婦に早く返事をしてくださいと頼み込むのでした。
長者夫婦は寅子の婿を決めなければなりません。
若者の内で寅子の婿にふさわしい男を一人選ばなければ成らないのです。

そうしたある日、寅子に求愛した若者たちのところに、長者の家から酒宴の招待話が届きました。
皆々、今日こそ寅子を我が嫁に出来るぞ、今日こそ私が婿に選ばれたのだと慶び勇んで長者の家に押しかけてきました。
長者の家の広間に招き入れられた若者たちは、招待されたのが自分一人ではないことに内心がっかりしましたが、酒宴が始まりご馳走を平らげる内に、誰もが自分がこの中から晴れて婿に選ばれるのだと思い込むようになりました。
しかし、なかなか寅子は姿を見せてくれません、長者夫婦は能面のような顔で酒を勧めます。

宴会も半ばを過ぎたころに若者たち一人に一皿ずつ、なます(肉や魚を薄く切って酢につけた食べ物)が配られました。
皆が、なますを食べ終えたころ、痺れを切らせて我慢ができなくなったある若者が
「長者殿、婿は私に相違ないですね」
とにじり寄りました。
それを口火に若者たちは、
「私を婿に、」
「いや、私こそ」
と長者に詰め寄りました。
すると長者は、苦痛の表情を浮かべ声を絞りだしてこういったのです。
「寅子は皆様に差し上げました」
「何をおっしゃる、私たちは誰も寅子殿を戴いておりません」
いぶかしむ若者たちに、長者は続けました。
「ただ今差し上げたなますは、寅子の肉でございます。
私どもは、いずれの方を寅子の婿にと思い悩んできました
寅子もいずれのお方に嫁いだらよいか迷っておりました
そんな、私達を不憫に思ったのか寅子は昨晩自らあいはてたのです」
寅子が残した書置きには、
「お父様、せめてこの身を皆様に等しくお分けくださいそして、私のことなど早く忘れて皆さん仕事に精をだして下さいと書かれておったのです。」
と涙ながらに語ったのです。

長者の話を聞いて若者たちは大いに悔いて、自分たちがしてきた行状を強く反省しました。
若者たちは寅子の霊を慰めるために、辻谷の里に供養塔を建てました。
その内の数人は出家し朝夕読経を奉げるため供養塔の見える場所に庵を建てたということです。その後村人たちは若者の名を寺号として呼び、源悟寺、慶福寺、満蔵寺、正蔵寺、多門院であると言われています。

黒浜貝塚

市内には縄文時代前期、この辺りが海の近くであったことを示す貝塚が残っています。中でも綾瀬貝塚・黒浜貝塚(県指定史跡)・関山貝塚(県重要選定遺跡)は、縄文時代前期の貝塚として、その時代の食生活や環境を知るための、学術的にも著名な遺跡です。

綾瀬貝塚

市内には縄文時代前期、この辺りが海の近くであったことを示す貝塚が残っています。中でも綾瀬貝塚・黒浜貝塚(県指定史跡)・関山貝塚(県重要選定遺跡)は、縄文時代前期の貝塚として、その時代の食生活や環境を知るための、学術的にも著名な遺跡です。

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